2016年12月11日日曜日

memo

この土日、祖母の一周忌のため実家に帰っていた。振り返れば、去年の12月は色々な事が重なり過ぎて余裕がないまま年を越したのだった。一年は早い。

来週末はお見舞いのため岡山まで行くことになった。去年の自分の大変さなど比べものにならないぐらい大変な状況の人に会いに行く。

わざわざ岡山まで行く程親しい関係なのかと聞かれると、そうでもない距離感である。何年か前に突然twitter上で次回公演に協力してほしいとリプライが飛んで来て、舞台美術を手伝うことになった。関係者から中々やること決めれない人だからコラボレーションは苦労するよ言われ、そしたら本当にやる事が最後まで決まらず、自分も別にそこまでスキルのある人間ではなかったから、不完全燃焼な作業を終え、結果何とも言えない消化不良感を抱えて公演は終了した。しかしその公演自体はとても面白かった。

もう誘われることもないだろうと思っていたら、次の公演も声を掛けてもらえた。前回と同じく依頼主のやることの決まらなさと自分のスキル不足が合わさり、またまた消化不良感を抱えたまま公演は終わった。この公演もとても面白かった。

その後は、そういう形で声を掛けて参加者を募ることを辞めたらしく、私はただの鑑賞者として見に行く人になった。二度程公演に関わった人間ということで、彼らの飲み会なんかにも声を掛けてもらい参加したりした。おかしな面子ばかりで楽しかった。初めて役に立てたと実感できたのは、2014年の気合の入っていただろう公演のウェブサイトを作ることになったときで、抱えていた消化不良感がやっと成仏したと思った。

今年に入って、特に深い理由はないけれど何となく彼の活動を直に見に行くことがなくなっていた。本当に深い理由はないのだ。ただずっと彼はこういう形で活動を続けていって、自分もふと余裕のあるときに観に行くだろうと疑いなく思っていた。そしたらこの様である。完全に油断していた。

昔読んだ小説で、自分の外側で世界はちゃんと動いている、みたいな一節があるのだが、気づいたら思いもしない方向に彼の時間は向かってしまっていた。

向こうは公演に関わった大多数の内の一人に過ぎないので、私が公演をずっと見ていたからどうこうということはないのだけれど、私側からすると「勝手に信頼している人」の一人なので、いなくなってしまうのは本当に困る。何となく飛び込んでくる公演情報やツイートに勝手に救われていたこともあったんじゃなかろうか。

こんなことをブログでダラダラ書いて何になるのかと思うけど、色々と整理がてら綴ってみた。今は良き方向に行くよう祈るばかりです。


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